今回は自殺をテーマにするので、不快に覚えた方は以下を読まないようにして下さい。

 

特に法律相談サイトでのサイトに多い質問として、最近は以下のような質問が多いですね。「ネットで匿名の相手に『死ね』って書いてしまいました。書き込まれた人が自殺したら、私は罪に問われますか?」みたいな。勢いで「死ね」って書いてしまう方、多いみたいですね。

パッと思いつくのは自殺教唆罪や自殺ほう助罪(いずれも刑法202条)なんで、それについて以下書きます。他の犯罪が成立し得ないかと言えば、厳密には文脈や状況によってはそうではないんですが、犯罪の成否は細かいこと考え出すとキリがないので、別の機会に。

 

ポイントをざっくりまとめると、ただ「死ね」とだけ書いただけでは、①実行行為性があると断定しづらく、②故意の立証も困難で、③自殺との因果関係の立証も困難、そのため自殺教唆罪・自殺ほう助罪で処罰されることは現状考えにくい、しかし処罰されないという保証は出来ないし、これからはわからない、と言ったところです。

 

まず①について。

ネットで「死ね」って書いた場合に自殺教唆罪や自殺ほう助罪が成立するのかについて、直接書いた文献は手元に見当たりませんでした。ただ理論的には、自殺教唆罪や自殺ほう助罪、その未遂罪が成立するためには、その行為が自殺という結果を直接惹起したり容易にしたりする現実的危険性を有することが必要だというのは刑法学の共通認識だと思います。要するに刑法学で言う実行行為性が必要だということです。

 ただ一言、「死ね」という投稿だけであれば、その実行行為性があることは少ないように思います。実際自殺教唆や自殺ほう助が成立するケースというのは、加害者がいろいろやっているんですよね。ネチネチ繰り返し繰り返し自殺しろ的な発言を繰り返したり、自殺の方法をレクチャーしたり、実際に自殺の準備の手伝いをするケースが多いのです。そこまでやったら、さすがに実行行為性があるな、みたいな。

 見ず知らずの相手に対するネットのコメントだけ、というのは自殺教唆罪・自殺ほう助罪の実行行為性がそもそもない、というケースは多いと思います。もちろん文脈や被害者との関係性にもよりますが。

 

次に②について

自殺教唆罪・自殺ほう助罪が成立するためには、故意、すなわち被害者が自殺することについて認識・認容していることが必要であると、今のところされています。かみ砕いていうと、被害者が死んでもかまわない、仕方がない、と思っていることが必要とされています。実際に自殺の準備のお手伝いしているケースみたいに、行為から見て認識認容の存在が明らかなケースなら立件も容易ですが、「死ね」というコメント一つだと、深く考えず勢いで書く人が多いので、故意の立証は困難なケースも多いと思います。

 

③について。

被害者が自殺した場合、程度の差はありますが、警察官は検視したり動機の調査をある程度します。他殺などの犯罪死でないことを確認するためです。その結果、状況から見て自殺であること自体は明確になることが多いのですが、自殺の動機は分からないことも多いのです。遺書があればある程度明確になりますが、それでもうつ病が疑われるケースなどは遺書のみで原因を断定することも困難です。

遺書がないとなると、自殺の動機はなおのこと困難になります。一つとも限りません。職場や学校での人間関係かも知れないし、家庭での問題かも知れないし、精神疾患が原因かも知れないし、経済的な苦境が原因かも知れないし、身体的な病気や体調の変化が原因かも知れないし、それらの原因が重なり合わさってのことかも知れませんし。

ネットのコメントだけでストレートに自殺の原因と断定出来るケースは、それほど多くないのです。

 

このような事情があるので、今のところ「死ね」とだけ書いた行為が自殺教唆罪・自殺ほう助罪に問われる可能性はそれほど高くありません。実際、木村花さんの炎上と自死が話題になり、それがきっかけで侮辱罪の厳罰化がされましたが、木村花さんの事件自体に自殺教唆罪・自殺ほう助罪が適用されることはなかったようです。その理由は明らかにされていませんが、おそらく上記①②③のどれかが理由と思います。

 

ただ、保証が出来ないのはもちろんですが、将来どうなるか分かりません。特にネット炎上事案が今後も続くようだと、警察や検察が強引に自殺教唆罪・自殺ほう助罪を適用して立件に乗り出す可能性があります。

過去に、練炭による集団自殺が流行ったときに、警察が自殺を図った方々を相互に対する自殺ほう助罪が成立するとして驚きの立件をしたことがありました。ネットの炎上とそれによる自死はさらに深刻な事態ともいえるので、同じように強引に立件することは充分あり得ます。

 

うかつにネットのコメントで「死ね」と書くのは控えたほうがいいでしょう。言うまでもないことではありますが。