一般の方はまだまだ、「六法全書を丸暗記すれば司法試験に受かるんだ」とか「弁護士は六法全書を丸暗記しているんだ」という方もいらっしゃるんでしょうかね。小さいころは私もそうだったし、弁護士になりたてのころはそう言われました。

 もちろん弁護士になった今では、それが間違いだということが分かります。六法全書を丸暗記している弁護士なんて多分いませんし、そんなことしてもたいして意味がありません。

 

 多くの場合、その理由としては、①判例や通説などが六法に書いていないから、とか、②事案に即して法律を適用する能力は丸暗記だとつかないから、と説明されます。

 もちろんそれらは正しいと思います。

 ①の例として有名な判例法理として、例えば違法収集証拠排除法則や法人格否認の法理などは条文には(明文としては)書いていないので、別途判例や解説などを読んで覚えなければなりません。

 ②の例としては、例えばお金を貸したけど返してもらえない時に、いつ何をやらなければならないかは、六法全書だけで身につくものではないです。簡単な例でいうと、判決取ってもまだ払わない時、給与と預貯金、どちらを差押えるべきか、みたいな話は六法全書を隅から隅まで見ても分かりません。経験や一般常識が必要だったり、別途実務本などを見て勉強する必要があります。

 

 ただ、あまり言われていないこととして、日本の法律学はそれほど条文を重視していない、ということも挙げられるのです。

 法学者が生徒に教える法律学はさらに条文から離れることが多く、何の条文を解釈しているのか明確にしないで解釈論を展開することがあります。民事訴訟法や行政法の分野で顕著ですが、どの法分野も多かれ少なかれあります。

 理由はさまざまですが、そもそも日本の法律学はずっと、日本の法律が参考にした外国の法律やその国の学説を研究していたことが大きな理由の一つです。外国の話ばかりで、日本法をあまり見ていない。学者として一人前になるには、憲法や刑事訴訟法ならアメリカ法、民法ならフランス法かドイツ法といった、特定の国の法律学を研究しないといけなかったからです。

 

 こういう日本の法律の条文が軽視されている現状があるのに、初学者にはまだ「条文に忠実であれ」と言われることがあります。実務家や法学者が条文に忠実でないのにです。たまにそれが可哀想になることがあります。

 

参考文献 大村敦志「民法研究ガイドブック」156~162ページ、山本敬三・中川丈久「法解釈の方法論―その諸相と展望」303ページ